■キャピラノ吊り橋の「物語」■
現在のキャピラノ吊り橋がかかっている場所を、スコットランド人の開拓者ジョージ・グラント・マッケイが発見したのは、今から110年以上も前のことでした。この土地の美しさに感銘を受けたマッケイは、妻と二人で自分達のキャビンを建て、その後、地元インディアンの助けと数頭の馬の力を借りて、スギ材の厚い板と麻のロープでできた長さ140メートルの吊り橋を、谷底から70メートルのところにかけました。
この吊り橋を見ようと、マッケイの友人らが、セネタ−号という汽船でバラード入り江を渡り、山道を登ってくるようになりました。現在のキャピラノ道路は、当時険しい山道で、それを友人達は、何時間もかけて登って行きました。彼らにはいつしか「キャピラノ・トランプス(キャピラノの放浪者)」というあだ名がつくようになりました。冒険心に溢れた「キャピラノ・トランプス」達は、当時の不自由な服装も気にせず、ただひたすら吊り橋を目指しました。吊り橋の人気は高まる一方で、1903年に、ワイヤー製の橋に作り替えられ、さらに、1914年には、両端がコンクリートの土台で頑丈に固定された太い鋼鉄ケーブル製の新しい橋がかけられました。
その頃には、すでに世界各国から人々がこの橋を訪れるようになっており、1911年に、ティーハウス(現在のトレーディングポスト)がキャピラノ渓谷の縁の建てられました。その後、1930年代には当時の橋の持ち主であったマック・マクエクラン氏が、原住民に勧め、彼らのトーテムポールを敷地内に置くようになりました。トーテムポールは各地に建てられていますが、一般に保存状態が悪く、原型を留めていないものが多いのですが、ここに建てられているものは、手入れが行き届いており、60年以上前の姿がそのまま残されています。
同じく1930年代の大恐慌の時に、デンマークの彫刻師、アギ−・マッドセンとカール・ハンセンの2人が彫刻製作の仕事を求めてキャピラノ橋を訪れました。彼らは食糧と住居(渓谷の向こう川に建てた小さな小屋)を与えてもらう代わりに、現在の公園内に点在する実物大のインディアン彫像を造りました。ただし、モデルを見ながら彫ったんものではなく、自分達のイメージに基づいて造っているので、服装など平原インディアンのものになっています。たった一つの例外は、赤ん坊のマテアス・ジョー・キャピラノを背負ったメアリー・キャピラノの彫像で、彼女は典型的な西海岸インディアンの服装に身をつつんでいます。デンマーク彫刻師が実際に出会ったインディアンはメアリーだけだったのです。
現在の吊り橋がかけられたのは1956年で、安全性確保のため、強化ケーブルの両端が、13トンもあるコンクリートの土台で固めれています。
ここ10年の間に、キャピラノパークにはいくつものアトラクションが加えられました。ストーリーセンター、自然保存林、キャピラノ渓谷沿いの肩持ちデッキ、ビック・ハウス・ネイディブ彫刻センター、パイオニア。ガーデン、ローガーズ・グリルなど、いずれもユニークなアイデアが生かされており、キャピラノパークの魅力を一層高めています。
(資料提供:Capilano
Suspension Bridge)
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